2002 3・5 ネパールの旅 田中彦久
今回、宮田会長のお世話でネパールの旅をすることができました。いろいろお世話になりました。感謝、感謝。
ネパール国は聞くと、見るとでは大違い。気温からして、2月の真冬に毛のセーターでも着ておればOKだった。
気温は朝4度、昼は20度程度。高地であるためなのか、秋のように体に爽やかに感じた。
観光の国である。ヒマラヤ山脈が東西に延び、皆さん必ず飛行遊覧をする。ヒマラヤ山脈は余りに雄大で、高く聳(そびえ)るため、その国の多くの人は雪に触れた事がないという。雪に触れに行くためわざわざバスツアーを仕立てることもあるとか。この話を聞いて思わず「絵に描いた餅だな」と笑ってしまった。
貧しい国で日本の戦後を思い出す。農業国で、山の上まで耕作している。しかし食べ物に不自由しない自給自足の国という、大したものだ。。今は麦が青く育っている。ほかに玉ネギ、ジャガ芋、陸稲が多い。料理はこれに野菜が加わる。牛肉はタブーで、魚も少ない。酒は飲まないようだ。
勤勉さは男子より女子、家の実権も女子がもっていると聞いた。
ポカラでヒマラヤの日の出を見に行った時、11歳の中学一年生が話をしてくれた。彼は「あれが日本の援助でできた学校」、「あれが僕の家」と説明する。日本語の達者なのには驚いた。英語は学校で教わっている、日本語は習いにいっているそうだ。大学生の場合、休学しアルバイトで一年間学資を稼いで、また学校へ行き、卒業する者が多いという。
ヒンズー教と仏教とが混じりあった古い文化をもった国。お釈迦さんもネパールの生まれだそうだ。寺院は立派で、たくさんあるのに驚いた。
治安は非常に良いと思った。軍隊があり、兵士が市内で銃をもつ姿も見掛けた。
お土産物は紅茶と織物(毛)、彫刻くらいのものであった。
現在、大学卒の給料は1万2千円、4人家族で4万円あれば1か月生活できるそうだ。そんな国だが頑張れば、追いついてくるのも間違いない。ネパール国はこれから10年で随分変わっていくと思う。